2004年6月15日火曜日

〔再録〕永井荷風の生涯』(小門勝二)……小門勝二が嫌いな人もこれを読めば考えが変わるかも


永井荷風の生涯』(小門勝二)……小門勝二が嫌いな人もこれを読めば考えが変わるかも



昨日の神保町。八木書店で荷風 関係の出物はないかと探したが、めぼしいものはなく、結局小門勝二の本を買うこととした。この人の荷風関連の本は、実に多数出ていて、多くは「大したこと ない」というので(坪内祐三なんかは「小門勝二は大嫌い、第一あの顔つきが嫌い」とすら書いているぐらい)、あまり気乗りがしなかったものだが、読んでみ るとなかなか楽しめた。


この『永井荷風の生涯』は昭和 47年に出版された本で、小門勝二のそれまでの5冊の本(『幻の愛人』、『東京の郷愁』、『ふらんす物語夜話』、『荷風耽蕩』)から著者が適宜抽出し一冊 の本としたもの。小門勝二もいい年になったときのもので、それまでの「スケベ親父」的な表現がずっと少なくなっている。というより非常に素直な荷風伝と なっていて好感すら持てた。

例によって、荷風から実際に聞いたとする言葉が無数に 羅列してあるが、あまり不自然じゃない。実際荷風が言った言葉なのであろうと思う。

たとえば、荷風の『冷笑』は荷風にとっての『にっぽん 物語』であり、『あめりか物語』『ふらんす物語』と併せて三部作としていっしょに出版したいという意向を持っていたとか、とても面白い。

その他『祝盃』で井上唖唖が洋食屋の娘とできてしまう くだりがあるが、あれは実際には荷風本人の話だったと荷風が白状しているとか、笑ってしまった。

興味深かったのは、小門勝二が『あめりか物語』のイデ スこそが『濹東綺譚』のお雪であり、荷風にとってのイデスは生涯を通じての女性だったと主張していること。これは散人もまったく同意見であり、わが意を得 たりであった。

小門勝二は荷風を人間として観察すると同時に、荷風の 作品を本当に好きで読んでいる人だ。「すみだ川」「おかめ笹」「つゆのあとさき」は予告編と前編・後編の関係で一つの流れになっているとか、本当に荷風の 作品が好きで没頭してないとなかなかこういう観察はできない。

小生もふくめて、最近の荷風の読者は、どうも磯田光一 や川本三郎など無数のエライ人達のソフィスティケイティッドな荷風論の影響を無意識に受けているためか、理屈で荷風を理解する人が多い。荷風文学は都市景 観の文学であるとか。その方が何となく知的なのだが、親鸞をプロテスタントに見立てるハイカラ仏教観と同じもので、理屈に過ぎるのかも知れない。もう一度 初心に戻って、荷風の「小説」を理屈抜きに読み直してみたいと思った。


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Posted: Tue - June 15, 2004 at 05:21 PM   Letter from Yochomachi   永井荷風       Comments (8) 

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